自分で携わっておいてなんなんですけどね、この世界の表面のいったい
どれだけの面積が広告で覆われているのだろうか?なんてこととか考える。


駅ビルの壁面やビルボード、電車のホームなんかは当然として、電車やバスの外装、
つり革、窓のステッカー、電話ボックスを烏賊臭い男の世界に変えちゃってる風俗のビラ、
対象物がなんであろうとかまわずボムられたタギング
こういう広告の目的はただ一つで、自分の存在をしらしめ、対象の記憶に
焼き付く事なので、必ずしも審美眼に叶わなければいけない理由はない。


「効かせる」という事を第一に考えた場合、

  1. 目にまっ先に飛び込んできて、
  2. 脊髄あたりで何を言いたいのか理解できて、
  3. その上に忘れられないようなフックをつける。

ということになるが、これに成功しているものなんてほとんどなくて、その結果、どっかで
見たような、見ていると目も頭も悪くなってくるような散漫な代物が出来上がり、どこかで
印刷され、合法であれ違法であれどこかに掲載され、そのうちどこかに散らばっていく。


あるものはどこかの隅っこに吹きだまって、あるものは道路にへばりつき色褪せ、
あるものは散り散りになって排水溝に流され、また幸運なあるものはリサイクルされて、
別のちがう紙製品に生まれ変わるチャンスを手にしたりする。
ひょっとしたら段ボールにされて、日比野克彦の作品に使われて美術館に買い上げられる、
なんて事もあるかも知れない。


街中は、お金や資源、時間、創造力といった有限のエネルギーをどさどさと注ぎ込んで
つくられて、生まれた瞬間からライバルと共食いしては死んでいく広告の墓場と
化しているように見える。慣れちゃいけないんだろうな。本当は。