先週の月曜日に祖母が亡くなって、福井に帰っていた。
一時は回復の兆しも、微かにだけどあったけど、結局病気が勝ってしまった。
79歳という年令は、女性の平均寿命の85歳にはあと六年足りない。
見舞いにも来てくれていたおばあちゃん達が、棺に入った祖母に向かって、まだ若いのにと
言っているのを見ると、まだまだ想像のつかない境地だなと思う。


友引きを避けて一日おかれての通夜には300人近い人が参列してくれた。
もうしんでしまった本人は知らないだろうけど、こういう光景を見るとまだ生きている
人間にとっては、慰みになります。葬式は生きている人間のためのものだなぁ、と強く実感する。
死を認識して、それをしっかりと自分のモノにする為の作業。


祖母は幼稚園の先生をしていたし、先生を辞めた後は児童館の館長をしていたので、
家の本棚には教育関係と女性の自立や子育てなんかの本ばかり並んでいる。
僕の実家には祖母から贈られたファーブル昆虫記とシートン動物記全集がまだ置いてある。
僕のお気に入りはファーブル昆虫記のサソリとタランチャラの話だった。


小学生の頃、夏休みに帰省してくると、児童館に行っては面白い方の本、つまり怪獣図鑑とか
昆虫図鑑とか魚図鑑とか宇宙人図鑑とかを眺めては過ごしていた。中には未来の地球の
予想図が書いてあるのもあって、たいてい、大津波で水没!とか宇宙人に侵略される!とか
富士山が噴火!とかが克明な劇画で描かれていて、当時本気で恐怖したおぼえがある。


小さい体育館もあって、なぜかルームランナーが置いてあってよくそれで遊んだ、
というか走っていた。もちろん地元の子供たちもいたけれど、あまり馴染めなかった。
でも職員室にいけば、祖母がいたからさびしくはなかった。
僕の中では児童館は夏の記憶の場所であり、砂利敷きの校庭の隅っこの蝉の抜け殻と、
日光にさらされて熱くなったブランコが一番しっくりくる場所だ。


中学の中頃から試験で帰れなかったり、段々と田舎とは遠くなってしまって今に至るけど、
それでも祖母は孫が帰ってくるのを楽しみにしていたと叔父が言っていた。
いつもゴロゴロしていただけなのに。今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


真面目一辺倒で、本棚には教育の本がぎっしりで、夫には早くに先立たれて、
先生をしながら二人の子供を大学にいかせて、早くから母子家庭の支援の為の活動をしていた祖母は
自立して生きる事を信条としていたが、皮肉にも最後は脳硬塞で半身が動かず、言葉も失ってしまった。
僕達を認めたときに喋ろうとしたことはなんだったのだろうか。